感想、考察もどき:「アベンジャーズ/インフィニティウォー」(ネタバレあり)

※「インフィニティーウォー」を含むMCU全般のネタバレと、身もふたもない駄話にご注意ください。

コミックに「サノス」が初めて登場したのは1973年らしい。で、さっとググってみると、当時の世界人口は39億人程度だそうだ。今は76億人なので、ちょうど「半分くらい」ということになる。

 

サノスの救済、50年で無化されるじゃん。

 

彼が人類を半分にしたところで、地球の人口は半世紀あれば元に戻ってしまう。恐らくは他の星もそうだろう。サノスは何十年かに一度指パッチンを繰り返す必要があり、どこかのタイミングでガントレットがぶっ壊れるのは間違いない。彼の理想を本当に実現するのであれば、「知性ある生き物」が恒常的に死に続ける環境が必要なのだ。賢い奴らは、放っておくと増殖し始める。ゴキブリになった気分だ。

じゃあ、宇宙から人間を捕食する生き物とか連れてくればいいんじゃね? という風に考えてみる。人間が物理的に宇宙の養分になれば、もう少し効率よく宇宙を運営できるんじゃないかな。

こういう風に考えないのもサノスの偉いところではある。彼は人間を「評価する」ことができる人なので、過剰に尊厳を否定するようなやり方は好まないだろう。豊かな暮らしを望むがゆえに、公平な不条理(トゥーフェイスか)を押し付けてくるのがあの紫色のゴリラなのだ。仮に人を食う生き物がいたら、むしろ止めに入ってくれそうな人物ですらある。

 

じゃあ、サノスはヒーローなのか?

 

段々と困った話になってきた。このジレンマはすごく「シビルウォー」に似てる……というか、これを見せつけるための準備としてアベンジャーズ2.5があったのだろう。宇宙規模で展開される、ヒーロー同士のポジショントークルッソ兄弟は「正義」という言葉が嫌いなんじゃないかと思うほど(一応言っておくと、これはヒーロー映画の監督として素晴らしいことだ)、潔くサノスを聖人として描いてみせた。そして、この「善人」であるサノスをアイアンマンと対峙させてしまったのだ。

個人的にはこれが今作一番の萌えポイントでした。方や涙ぐましいほど全力で攻撃を仕掛けるトニー・スタークに対し、サノスは謎の理解を示してしまう。案外似た者同士、という事実が明かされる瞬間が本作にはあるのだけれど、正直観ている側はそれどころじゃない。

なぜって、この会話の前後では凄まじい戦闘が繰り広げられているのだ。しかも、恐ろしいのはサノスの強さだけではなく、サノスに対峙して生き延びている「アイアンマン」の側だったりする。お前、いつの間にそんな強くなったんだ。初代「アイアンマン」の頃と打って変わり、「AoU」以降のトニーはスーツの「製作」を全く映さなくなっている。だから、アイアンマンの強さの根源を僕たちは理解することができないのだ。「なんでマーク47から50まで飛んだの」とか「ハルクバスターはどこから出てきたの」とか、あり得ないくらい説明を端折りまくるのが今作の地味にヤバいとこだと思う。

率直に言って、これでは魔法使いを見ているのと全く変わらない。どうしてこんな、一部のファンを振り落とすような勢いでアイアンマンを進化させてしまったのだろう?   もしかすると、これはトニーが人間から「乖離」し始めた存在だと示すためかもしれない。本作のアイアンマン・マーク50は本当に「強い」。そのせいか、トニー・スタークという男が普通の人間には見えなくなってしまうのだ。十年間見続けていたアイアンマンが、これまでとは「別物」に感じられる瞬間が「インフィニティウォー」の中にはあって……そして、こうした逸脱と地続きに存在する「未来」として、サノスというラスボスが立ちはだかる。

人を超えた「視点」を手にしたサノスは、やがて人の正義観から大きく外れていった。そう考えてみれば、トニーやストレンジだって似たようなものだ。たとえば50年後に世界人口が元どおりになって、食料などの資源が底をつき始めた時、「ヒーロー」であるトニー・スタークはその状況をどのように捉えるだろうか。あるいは、どう対処するだろうか。サノスが扱っている問題は、トニーにとっても無視できるものではない。無限に進化し続ける「アイアンマン」は、一体いつまで地球人の目線を維持し続けることができるのだろう?

このような問いを内包しているのが、サノスとトニーの短い会話だった。サノスの思想に真っ向から対立できるのは、「人」を統べる王であるソーやブラックパンサー、あるいは人間代表のキャプテン・アメリカ達だけなのだろう。スティーブとトニーの和解はもはや単純な仲違いじゃなくて、「正義」の落とし所を見定める重要な儀式に広がってしまった。実に面白い話になってきた……4の公開日は明日でしたっけ?

 

 

・余談

今回のスターロードとかシビルウォーのトニーとか、ヒーローが「暴走」する瞬間が結構好きだったりする。というか、あの手の暴走を赦し食い止めるところに正義のロマンが詰まっていると思うので、魅力的なキャラクターにはこれからも感情論で暴れて欲しい。

でもなんか、この辺にストレスを感じてる人も多いみたいですね……あくまで僕個人の意見です。ご参考までに。