【感想・考察もどき】『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』と情報社会とMGS2

 

『スパイダーバース』の興奮が冷め止まぬ3ヶ月前、小島監督のこのツイートを見たときは正直「どの辺がTPP+DSなんだろう……」と思ってしまったけど、こと「FFH」に至ってはもう完膚なきまでにメタルギアっぽい話をしていて、MCUのフェーズ4が予想の遥か上をいきそうな悪寒(ムズムズ)がする。ネタバレ注意。

 

 ヒーロー映画における「真実」といえば、まっ先に挙がるのはやあはり「ヒーロー/ヴィランの正体」だと思う。とにかくヒーローの正体は隠さなきゃダメで、その二重生活のしんどさを楽しむのが一つの定石とも言える。

 そんな「王道」に対し、MCUは一作目からアイアンマンの正体を平気で晒した。定石に啖呵を切るようなアドリブをRDJがかました結果(今思うとあれがアドリブなのは本当にやばいな)、却ってアベンジャーズとして集結しやすくなり、件の「アッセンブル」まで一気に駆け抜けたのがこのユニバースの「ヤバさ」だ。

 とはいえ、逆に言えば、2008年はまだああいう「暴露」ができた時代だったのかもしれない。アイアンマン一作目を起点として、「ヒーロー/ヴィランの正体」をめぐるすったもんだは徐々に形を変えていく。

・「真実は、私がアイアンマンだ」とだけ言えば良かったフェーズ1。

・実はFFHと同種の「大嘘」をかましているマンダリンに、いまいち時代が追いつかなかったフェーズ2。

・そして、ついに「ミステリオ」という虚構が出現してしまったフェーズ3。

・その先で、「スパイダーマンの正体」という真実が何重にも弄ばれ始めるフェーズ4……ここにX-MENやなんやらが加わっていく。

 こうして見ると、『ファー・フロム・ホーム』の最後でスパイダーマンの正体がバレるのは一つの「原点回帰」ではあるんだけど、その様相はトニーの一言とは決定的に異なっている。というか、この映画一本で「真実」が信じられないくらい複雑化してしまった。単純にミステリオが引っ掻き回しただけではなく、JJJやらフューリーの「正体」やら『トニー・スターク物語』とかいう虚構の中の虚構やら……小さな嘘が、狂ったテンポで積み重ねられる。

 MJが事前にピーターの正体を見破ったのだって、「彼のことが気になってたから」という甘酸っぱい思いだけでは決してなく、彼女自身の情報リテラシーが一部ぶっ壊れていたからだ。考えれば考えるほど救いのない状況の中で、「スパイダーマンの正体」をめぐる「審判」が下されるあの結末に対し、正直サノス以上の危機感を覚えてしまったのは僕だけなのだろうか。

 もはや情報そのものではなく、情報を繋げ合わせた「文脈(コンテクスト)」であり「解釈」の問題だ  とまで言ったところで、やっぱり『MGS』じゃねーか! という気持ちが湧き上がる。

 

 というわけで、SNSなどで定期的に流れる「アレ」を改めて確認してみよう。情報社会を予言していた、と有名な『MGS2』の「大佐の説教」です。

 

www.youtube.com

「君達が『自由』を『行使』した、これが結果だ。争いをさけ、傷つかないようにお互いをかばいあうための詭弁  『政治的正しさ』や『価値相対化』というキレイゴトの名の下に、それぞれの『真実』がただ蓄積されていく。」

「衝突を恐れてそれぞれのコミュニティにひきこもり  ぬるま湯の中で適当に甘やかしあいながら、好みの『真実』を垂れ流す。」

「かみ合わないのにぶつからない『真実』の数々。誰も否定されないが故に誰も正しくない。」

「ここでは淘汰も起こらない。世界は『真実』で飽和する。」

「それが世界を終わらせるのだ。緩やかに。 」

 

 現実じゃねえか。

 2001年の「予言」の顛末が、世界の中心におけるまさか「スパイダーマン」の中で平然と繰り出されしまったことに恐怖を覚える。だって、別にスパイダーマンが『MGS2』並にトガったものを描こうとしていた訳じゃないだろうし、これはMCUがエンタメとして正しく時代を反映した結果に過ぎないのだから。「パクった」と言いたいわけではなく、むしろ、「偶然」だからこそ恐ろしいと思うのだ。

 何が一番怖いかと言うと、実はMGS2は発売当初かなりストーリーを批判された作品だったりする。あのストーリーは決して最初から評判のいいものではなかった。当時のレビューが今もネット上で読むことができるので、(晒す訳じゃないが)せっかくだし確認しておこう。 

【PS2】メタルギア ソリッド2 サンズ・オブ・リバティ / 感想など

特に最終ボス戦以前のアノ方のお説教は、 ユーザーからお金を取ってソフトを買ってもらっておきながら、 何をぐだぐだと演説してるんだと腹が立ってしまいました。 雷電を大衆とかぶらせているような事をおっしゃってますが、 雷電も大衆もそこまでアホではないだろうと思う。 小島さん、テレビゲームの作り手として語り口が自虐的過ぎます。 ‥‥‥偉そうでスミマセン。 

 

制作者の自負は非常に伝わってくる作品です。 そればかり鼻について、大切な本質を見失っている感じがものすごくします。 そもそも、このゲームにストーリー性なんて不要。 潜入の目的だけはっきりしていればよい。 

 

「このゲームにストーリー性なんて不要」なんて、今じゃ信じられないような評価だと思う。でも、少なくともあの当時は「情報社会」がここまで狂っていくとは思わなかっただろうし、ある意味「まとも」な批判であるかもしれない。

 というか、これが「再評価」されてしまった現実こそが異常なんじゃないか? ゲームの作中人物に説教されて頭が上がらない、そんな状況を果たして喜んでいいのだろうか……こうした違和感は、『ファー・フロム・ホーム』を観た後ではさらに激化することになる。なぜって、大変喜ばしく、恐ろしいことに、この映画は今「大絶賛」されてしまっているのだから。

 誰か一人でも、「こんな虚構に騙されるワケないだろ」と異を唱えた人がいただろうか。ジェイク・ギレンホールがモーキャプスーツ姿で画面に映るあの身も蓋のなさに、ふざけんなと怒った人がいるだろうか。きっとどこにもいないだろう。僕たちはもう11年間MCUという虚構に踊らされまくっているから。そして、現実の情報の文脈は  MCU同様に  もう何が「真実」か語ることができないほどに飽和しきっている。

 本作の最終決戦、ピーターのスパイダーセンスは完全に「情報リテラシー」そのものと化しているよね。そんなリテラシーを人間が持てるはずがない、と時代が証明しているからこそ、「第六感」として真実をかぎ当てるフェーズに達した。それはMCUだけではない、生の現実の進化なのだと思う。「進化」なんだと一応言っておく。 

 虚構に覆い尽くされた今この瞬間はまぎれもない現実で、「現実」と言えてしまうのが現代の「リアリティ」だ。 どこまでが虚構でどこまでが現実か、なんて線引きはもはやそれ自体が現実逃避に等しいと思う。

 だって、結局ハッピーが「音楽は任せろ」と言った瞬間にファン(a.k.a.ぼく)がボロ泣きしてしまうのは、彼が「ジョン・ファヴロー」であることを認識しているからでしょう? それって本当に、虚構を楽しんだと言えるのだろうか……。

 

 いや、死ぬほど楽しいけどな。